「花束みたいな恋をした」-2人の世界

「花束みたいな恋をした」

ネタバレあります。

タイトルに惹かれてはいたけど見る機会がなく、ただYouTubeのコメント欄かどこかでエンディングについて言及されていたので結末だけは知っている映画でした。数年越しにようやく見ることができました。

 

冒頭から独特なセリフ回しだな、原作小説でもあるのかな、と思って見ていましたが、エンドロールで坂元裕二さんが脚本だと知り納得しました。以前「カルテット」と「大豆田とわ子と三人の元夫」を見たことがあります。どちらのドラマも数年前に見たので記憶が曖昧ですが、独特の視点とそこから導き出される考察が面白い脚本家だと思います。なぜか「カルテット」の唐揚げにレモンをかけるか否かというシーンが印象に残っています。あと松たか子さん演じる主人公と宮藤官九郎さん演じる失踪した夫のすれ違い。残酷ささえも感じました。一言言えたら良かったけれど、なぜかそれが言えない相手っているんですよね。でもそれが言えないのは相手が悪いんじゃなくて、自分に原因があります。相手のせいにできたから失踪するという行動をとれたのだと思います。

話を戻します。こんなに好きな物が同じで、世代感覚が近くてもうまくいかないことってあるんだなと思いました。趣味嗜好は似ていても、その他の価値観が違ったのかな。今エーリッヒ・フロムの「愛するということ」を読み終わって2周目に入ったところなのですが、2人とも愛の習練が出来ていなかったからなのかなと思ったり。私も愛についての学びと技術の獲得が全くといっていいほどできていないので偉そうなことは言えませんが。

お互い学生なのに同棲するため新しい部屋を借りるところが衝撃で、ふわふわしてる、浮世離れしているという感覚を受けました。大学卒業後もフリーターとして2人の生活を続けていきますが、親からの月5万の仕送りが絶たれた辺りから物語が動いていきました。絹は資格をとり就職、麦もイラストレーターとして生活する夢を諦め就職し、多忙を極めていく。2人の生活はすれ違い、麦は読みたかった本も読めなくなります。(物理的な原因ももちろんあると思いますが、それって鬱傾向もあるのでは?と感じました)2人が一緒に居続けるために選んだことのはずなのに、うまくいかないもどかしさ。資本主義社会に翻弄されていく2人。

麦は絹の仕事に対する価値観を否定的に見ていましたが、それは嫉妬もあったのだろうと思います。私は絹の考え方が好きだし、実際にそういう価値観だと思います。仕事だからといってなんでも割り切れるわけじゃない。

途中のシーンで「茄子の輝き」という本が出てくるのですが、そんなタイトルの本あるの?と思って調べたら実際にあって驚きました。現代小説やサブカルなどに詳しくないので彼らの会話の中に出てくる人物やグループ名は全て架空だと思っていたのですが、実在しているんですね。最後の最後に出てきた「羊文学」と「崎山蒼志」だけはわかりました。もちろん呪術廻戦つながりで!

お互い「別れよう」って言わなくても、なんとなく肌感覚で終わりを感じている2人。とってもよくわかります。

麦は、恋愛感情がなくなっても家族でいたらいいじゃないかと自分自身も納得させるかのように伝え、絹の説得を試みます。恋愛感情が~と言われた時、絹は一瞬傷ついた表情をしたように見えました。でもその言葉をきっかけに別れない方向に進み始めていって「え。別れないの?」と思いましたが、知り合った頃の自分たちを彷彿とさせるような学生2人の様子と会話を聞いて、別れを決断します。あの頃の2人だったからこそ好きになったけれど、もうあの頃の2人には戻れない。この状態でずっと一緒にいても幸せでないことは分かっていたのに気付かないふりをして、でも学生2人を通して見た過去の2人を前にそのふりを続けることができなくなった感じに見えました。学生2人の姿を見ていますが、特に後半、実際には自分たちの過去の姿を見ていましたね。

彼らの4年間はわりかし穏やかな時間が多かったように思います。だからもしお互いが既に社会人となり自立した状態で知り合っていたら、違う結末があったのかなと思います。冒頭のシーンで同じ行動をとっていた2人。やっぱり似ているんだもん。

彼らの歩みの中に自分の過去を見ているようでもありました。たまにはこういう恋愛映画を見るのも悪くないなと思いました。